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昨年の春ごろから見えにくくなり、スモークがかかったような状況でした。
眼科で診察を受けると白内障と診断され、手術をするようすすめられていたのですが、1年以上経過していよいよ必要に駆られて手術をした次第です。
手術前は、コンタクトレンズを装着した状態て0.7が見えるか見えないかという状態で、裸眼では0.02程度だったと思います。
刷りガラスかサングラスをかけたような感じで白いところがベージュっぽく見えていました。
片側から一週間ごとに手術した結果、裸眼で0.7程度メガネをかけて1.5弱見えています。世の中明るくなりました。
手術の所要時間は30分程度で、翌日から眼帯もとれ目薬を差しています。
近視の強い人は、白内障になりやすく、60歳以上ではかなりの人が何らかの症状があるようです。最近見えにくくなったかなと思われる方は、早めに眼科で受信されることをお勧めします。
昨日、今日の2日間、香川県高松市の沖合いにある女木島に行ってきた。
久しぶりに女木島を訪れたのだが、かれこれ7~8回は来ているだろうと思う。
女木島は鬼が島伝説のある島で、映画「釣りバカ日記」の第1回ロケが行われたことで有名でもある。高松港から雌雄島海運のめおん2号で15分ほどで到着するが午後5時は島から高松港へ帰るフェリーは無くなる。 女木港ではモアイ像が迎えてくれるが、数年前に移築されたらしいが、その理由はイースター島ではモアイ像をどのようにして運んだかという実験検証の後、高松市に寄贈されここに運ばれたようだ。
10年程前までは、島に雑貨屋兼田舎のデパートがあったのだが、現在は食料品を買い入れることが出来るお店は1軒も無い。 民宿はいつも利用している「龍宮」という民宿がこの時期1軒だけ営業している。 夏休み中は海水浴客でにぎわうそうだが、今は釣り客とカヌーを楽しんでテントを張っているグループだけだった。
私が女木島を訪れたのは久しぶりだが、一緒に来た仲間たちは毎年来ている。
原点の集いといって毎年この島にある銅像を清掃に来ているのだが、その銅像の主こそが、この島で生まれた西尾末廣元内閣官房長官で今はなくなってしまったが旧民社党初代委員長である。
私が福祉に関わるようになった原点ともいえるかもしれない。
日本の政党で初めて福祉国家建設を示したのもこの政党であった。
さておき、夜は懇親会と昔話に花が咲き、今日は皆で「たらいうどん」を食べに行ってきた。場所は徳島の土成町の山間にあり、松乃家たらいうどんというお店で数軒のうどん屋さんが軒を連ねていて、午後2時過ぎにもかかわらず30分待ちという混雑振りであった。
レンタカーで徳島駅まで行き、徳島港まで送っていただいて午後8時半過ぎ帰宅したところです。
昨日は、フェリーとバスの連絡が悪く、朝2時間、午後1時間の連絡待ちでかなり疲れがたまっています。
これからぐっすりと寝ようと思います。
学生時代お世話になった恩師の30年追悼祭を京都の白峯神宮で執り行った。
この神宮は昨今、蹴鞠の関連でサッカー関係者がよく参拝されている
http://www10.ocn.ne.jp/~siramine/
全国各地から13名が集まった。 お世話になった所縁のある人は都合で参加できなかった人も含めるとかなりの数になる。
30年前の8月28日に亡くなられたのだが、亡くなられる直前の8月23日頃から3日間だったと記憶しているが、和歌山に来られ和歌浦、龍神、本宮とご案内して京都に帰られてのことだった。
生前中に恩師のお供で滋賀県堅田の真野にあるお墓にお参りさせて頂いたことがあり、家内と結婚の報告に25年前お墓参りしたことがあった。 今回はそのときのかすかな記憶で皆さんを案内することが出来、墓所を私以外の皆さんに伝えることが出来てホッと一安心したところです。
とにもかくにも追悼祭と墓参が無事終わり、京都の祇園で直会方々、懇親会を持ったわけで、今夜無事帰宅したところです。
この友人は、長男佳彦が保育所から学校に就学しようとしたときの市教委の指導主事だった。 冬の寒い夜、何度も何度も家に足を運んでくれて、親身になって相談に乗っていただいた。 今ほど自閉症や発達障害に理解がなかった時代である。 そう、もう20年近くも前のことである。
就学検診についても、事前に学校へ連絡して頂き、待つことが出来ない長男・佳彦を待たずに受信できるようにしていただいたりした。
この友人と二人で第二土曜日が学校週二日制となったとき、田辺市で第二土曜日の活動をする計画を立て、市教委に事務局を置き、田辺市の小中学校校長会を通じてボランティアを募集するシステムを立ち上げたりした。
活動の柱として、土曜日の余暇活動とボランティア育成事業などを中心に、子どもたちとボランティアが対等の立場であることを前提として、子どもたちにボランティア育成事業のボランティアとなってもらい、子どもたちがいなければボランティアは学習することができない旨の理念を培ってきました。
ボランティアの学生は学校の作文や体験発表の中でもこのことの大切さを表してくれて、将来、福祉方面の仕事に就きたいとか保育士になりたいとか言って、現在本当にその職業についていられます。
そのときの活動が、現在のアニマル・セラピー(アクティビティー)乗馬体験活動の基礎となっています。 この第二土曜の活動がなければ乗馬活動もはなまる相談につながる活動も生まれてこなかったといっても過言ではありません。
毎年6月6日にはご自宅を訪問して、線香をあげさせていただいています。
本日も彼の笑顔に挨拶と一年の報告に行ってきます。
全員集合!
猫代さん、母親で肝っ玉母さんです。性格
は控えめで奥ゆかしいです。
長男雄(チョウナンオ)、名前の通り
長男で、体が一番大きいですが
アカンたれです。
一番ドンくさいですが、男前です。
次男雄(ジナオ)、文字通り次男で、やんちゃ坊主です。
甘えん坊で次男の性格そのものです。
鼻が黒くてトラがはっきりしています。
長男は鼻が白いです。
ビッチャン、生まれたてのとき、一番
ちびっ子で存在感がなかった仔で、
単独行動が得意です。雌
ショボちゃん(雌)、民主党の
ロゴマークを背負ったような
愛嬌者です。
別名コケショボと言って人が
近くに来ると目の前で仰向け
にこけ撫ぜて欲しいとアピー
ルします。 要領がいいです。
以上が我が家の5匹の猫たちで、番外編に新宮の山本副会長宅に
貰われて行ったトラことエドがいます。
エド君、茶トラの綺麗な猫で
3男で3番目に生まれました。
公共の施設でスケートボード場が設置されているのは珍しいと思うが、田辺市と姉妹都市提携をしているオーストラリアのワイオン市にもこうしたスケートボート場が設置されていたことを思い出した。
議員であった頃、2000年の姉妹都市提携更新のためワイオン市から招待を受けて田辺市と市議会で調印式出席のためオーストラリアに視察に行ったとき、現地で青少年の健全な遊び場(スポーツ施設)としてスケートボード場が設置されていたのを見せていただき、帰国後に田辺市にもこうした無料のスケートボード場を設置してはどうかと質問したことを思い出しました。 そのときは、今後検討するとの答弁でしたが、知らないうちにスケートボード場が設置されているのがわかり、「ああ、うまくやっていただいた」と感じ入っていました。
たぶん、扇ヶ浜整備計画のときに附属施設として整備されたであろうと思われます。 田辺市付近にはこうした若者が自由に遊べて、出入りできる場所が少なく若者の定着できる街づくりには非常に有効だと思っています。
皆さんも田辺市役所近辺にこられたらカッパークを覗いて見て下さい。
「たぬき会」というのは連合田辺西牟婁地協のOBや行政のOB、議員、現職の行政マンetcで組織する飲み会です。
久々に開かれたというより、開催されていたのですが私かの参加が久々であったというのが正確なところです。
今回、メンバーの中からの提案で、「たぬき会」も飲んでいるばかりではなく、何か社会に役立つことをしてみないかという話があり、地方の限界集落に対する取り組みを考えてみてはどうかという案があり、みなで知恵を出して考えて行こうという話になりました。
メンバーの顔ぶれは相当な人材が揃っているから、何か出来るだろうということになり、その場が盛り上がったというわけです。
今後を楽しみにしたいと思います。
一般的に平等と皆さんはよく使われていますが、この平等という言葉の意味と公平という言葉が、混同して使われているように思えてなりません。 法の下の平等、権利の平等、機会の平等などは至極当然だと考えますが、仕事の上での平等、男女平等という言葉は本当にそうだろうかと時々疑問に思います。
言わんとする意味は理解しておりますが、男性は子どもを産むことはできませんし、女性に重たいものを持たせることは無理だと考えます。 この場合は、公平であるなら、体力に見あった作業をすることであり、身体的機能の違いであるはずであります。
福祉について論じるときには、この公平さが重要なポイントとなり、応分の努力に見合った就労や報酬、または応分の負担もあるのではないかと思います。
たまには「平等と公平」が混同されて使われていることに気づいて、言葉の意味と重みを考えて使って生きたいと思う今日この頃です。
小米朝さんの話の中で、昨年の漢字である「偽」について、「偽」とは人が為すと書く、例えば食品の賞味期限についても人が為したもの、つまり人が決めたものだから、ごまかしや不正が行われると言う。
天が決めたものなら、天意として人の舌や臭いで判断して、食べられるものか否かを判断される。 従って、人が森羅万象を破壊し、人の横暴で自然の理を踏みにじってきた結果だという意味合いのことを言っていた。
正にその通りであると思い、ここに書き記しているわけだが、「偽」の後には何が起こるのだろうかと考えてみると、スクラップ&ビルドと言う言葉が浮かんできた。阪神大震災の記憶が風化しないようにと思いはあるが、人に対して大自然のしっぺ返しが怒ってくるのでないだろうかとも思い、今年の漢字は破壊の「破」ということにならないように祈る今日この頃でした。
さてさて、明日は保護者研修キャンプで1泊2日で白浜と田辺市内で行事かあります。20日の午前中には三栖幼稚園で乗馬体験もありますよ。
本業の方で、大晦日と4日に事故があった。
現場検証に来た知り合いの警察官に尋ねたところ、この年末年始は例年になく事故が多かったようです。
幸いお客様の事故の方は軽微なものであったので、大事には至らなかったですが、わき道からの右折事故が1件、バックでの事故が1件ということでした。
バックで事故というとスーパーやコンビニの駐車場での事故がよくありますが、駐車スペースに頭から突っ込んで駐車していて、出庫の際バックで事故を起こしたケースがよくありますが、できるだけバックで駐車スペースに止めて、出庫のときは頭から発進すれば危険が回避できると思われます。
年末年始は車の量も多くなりますので、くれぐれも安全運転されますように・・・・。
弁慶祭はその名のとおり武蔵坊弁慶ゆかりのお祭で紀州田辺で生まれたと伝えられている。 JR紀伊田辺駅前には大きな弁慶の銅像があり、熊野水軍が源氏に味方した際のご神託は、紅白の鶏を闘わせ決めたとされている。 その所縁の神社として権現さんの愛称で呼ばれている「闘鶏神社」があり、弁慶の父親とされている熊野別当湛増の像がある。
また、弁慶松、弁慶の産湯の釜、腰掛け石、産湯の井戸等、弁慶に所縁の史跡も多く残されている。
今回が21回目となるが祭の主役である弁慶は、初代から7代目までは野球評論家の江本孟紀氏、俳優の小西博之氏(田辺市出身)、チャンバラトリオの南方英二氏、アントニオ猪木氏(2回)、元大相撲の龍虎氏、同じく蔵間氏が務め、8代目からは一般から選ばれている。
主催は田辺市観光協会と田辺市で祈願祭はもとより、下駄踊りや紀州弁慶よさこい踊り、花火大会、物産テント市、映画祭表彰など当地方では大規模なお祭の一つです。
一度訪れてみてはどうですか。楽しいことや新しい発見があるかもしれませんよ。
本日、和歌山へ会議のため出張。帰宅後、人権擁護連盟の企画委員会が9時過ぎまでかかり、今帰宅しました。
土曜日も和歌山出張でした。
このブログの書き込みも夏休みと共にサボっていたので申し訳ありませんでした。 サボりとブログのシステムエラーが重なりアクセスできなかったので余計長くかかりました。
今年の夏は連日の猛暑と異常気象が原因なのかわかりませんが、お天気の悪い日には携帯電話がつながりにくくなったり、切れることが良くあります。 単に私の携帯が機能的に問題があるのか判りませんが、どなたか判る方がいたら教えてください。
高校野球も山場になって、面白くなってきています。
準決勝は、選抜優勝の常葉菊川VS広陵・40年毎のチャンス(昭和2年、昭和42年の準優勝)と佐賀北VS長崎日大の九州勢同士の戦いと酷暑の中、延長戦を勝ち抜いてきたどのチームにも優勝させてやりたい気がします。 故障や怪我がなくがんばってもらいたいと心から応援します。
土用の丑の日が近づいてきて、スーパーや鮮魚店、コンビニのチラシにまでうなぎの広告が目立つようになって来ました。
うなぎと言えば、先日、台風4号が去った翌日のことだったと思いますが、川が増水してにごった状態が続いたときのことです。
上富田町にある富田川の支流で40~60匹のうなぎが釣れたようです。本流が増水で濁って小石や流木、ごみが流れるからでしょうか、うなぎが比較的流れの緩やかな支流に大挙して逃げ込んできたようです。 一人で40匹を釣った方を先頭に全部で60匹位釣り上げたようです。 餌はミミズです。 中学生になる甥っ子が皆さん釣っているのを見て、生まれて初めてうなぎ釣りに挑戦し、ミミズを餌に60cm位のうなぎを釣り上げたようです。
その後は、うなぎを捌くのに家族総出で悪戦苦闘の末、蒲焼ができたようです。 甥っ子は自分で釣ってきたうなぎを美味しそうに食べたと言うことです。
うなぎを捌くときは、うなぎはヌルヌルしていてくねらせるのでうまくいかない。 一番いいのは、かぼちゃの葉でつかむと滑らないが、手に入らないときは新聞紙がよい。 くねくね動いて困るときは、うなぎを氷水にとり、仮死状態にして捌くとうまくいきます。
昔は田舎の子どもは、毎日のように川でうなぎや鮎、川エビを取って食べたもので、うなぎや鮎はお金を出して食べるものと言う感覚はありませんでした。
こうした体験を子どもたちにさせてやりたいと思うのは私ばかりではないでしょう。 自然体験が子どもを豊かな心の持ち主へと育ててくれます。 そうした自然を大切にしたいものです。
今週はばたばたして書き込みができなくて申し訳ありません。
実は、先月29日に親父が脳梗塞で入院したのですが、幸い軽くすんで手が不器用になったのと少しロレツが回らないのかなぁと思う程度で、カテーテルの手術も成功し、19日に退院できたというわけでした。
「亀の地蔵さん」をお参りしたのもそんなことがあったので、入院した当日気になってお参りしたしだいです。
「亀の地蔵さん」へお礼参りに行かなくてはと考えています。
この前書き忘れたのですが、この「亀の地蔵さん」の写真を撮るとき地元の人が、「写真を拝んでも効き目あるんやと」と言ったいたのを思い出しました。 皆さんもよければこの「亀の地蔵さん」の写真を保存して拝んでみてください。効き目があるかもしれません。
本日、仕事で印南町(切目)西ノ地へ行くことがあり、直々お邪魔させて頂いているお客さん宅の近くで「亀の地蔵」という看板が目に入った。 普段は気にも留めずにいたがふと気になって「亀の地蔵って何っ!何処にあるの」って尋ねると「家の裏にあるよ。一つだけどんな願いも聞いてくれるよ」と答えが返ってきた。 何でも遠くは名古屋とか県外から大勢の人がお参りに来るらしいと聞いて、早速、お客さん宅裏の「亀の地蔵」さんに参拝してきました。
「亀の地蔵」さんへのアクセスはJR切目駅から500m北進し、切目川に渡った橋を超え、150m程進むと「亀の地蔵」の看板が見えてきます。
この看板を右に曲がり、小路を100m程進むと
又、「亀の地蔵」右に曲がると表示されている。
この看板を左に更に細い路地を20m進んだところに、目当ての「亀の地蔵」さんが姿を現した。
西ノ地の「亀の地蔵」で検索したところ、和歌山県の古いデータとして次のようなものが書かれていたので紹介します。
「どんな願いごとでも、一つだけやったら、必ず間いてくれはる地蔵さん」。そんなお地蔵さんが、印南町西ノ地にある。「亀の地蔵」という。
むかし、この地に源助という漁師がいた。ある年、原因不明の大病にかかり、医者もサジを投げたとき、体長一メートルもあろうかという大亀が枕元へきてささやいた。「わたしは以前、あなたに助けられたことがある。お礼に薬を教えよう」という。亀のいう通りに調合した薬で全快した源助さん、お礼に建てたのが、その地蔵さんだという。
浦島太郎をもじった様なお話だが、漁師さんたちは、酔いが回るとこの亀の話になるという。そして漁に出る前には、きまってお地蔵さんに手を合わせるとも。「一つだけの願い」は時代が変っても生き続ける。
(メモ:国道42号線を南下すると、町の中心部・印南地区から約三キロ。お地蔵さんは元村西蓮寺の坂下にある。)
近くに行かれたら立ち寄ってみるといいと思います。
何か願い事が叶うかもしれません。
4つの会議がたまたま同じ日に和歌山市で集中していて、1時過ぎから打合せの会議、3時から連合和歌山にて政策等の会議、5時から生命保険会社の拠点昇格パーティー、途中中座してJR和歌山駅前にて集会の動員、後にパーティーに戻って、7時から京都産大同窓会役員会の予定でしたが、この同窓会役員会はキャンセルと忙しい一日でした。
表題のグッドタイミングは、連合和歌山を出てバス停で待っていたとき、バスが遅いのでタクシーを拾おうかと思ったいたら、「大久保さ~ん」と呼ぶ声に振り向くと田辺の近所の友人が車から降りて、「何処へ行くの」と声かけられたので、「ダイワロイネットまで送ってください」とお願いしました。
田辺駅でも出かけるときに友人に駅まで送ってもらっていたので、この日は何とタイミングがいいと思ったわけです。
ありがたいやら助かったやらで本日、お礼の電話をしたところです。
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和歌山県自閉症協会
会長・中紀分会長
京都産業大学法学部卒
56歳
2人の自閉症者
(27歳男・22歳男[故人])の父